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日向夏

日向夏の袋掛けは毎年台風シーズン前に終わっていないといけない。袋をかけるのは強風で枝が揺れ果実に傷がつくのを防ぐためなのだが、その数は膨大だ。たしか自分は、全ての実に袋をかけるのは相当大変ですね。と、言ったと思う。

「大変は大変だけど、、袋をかけるとね、きれーいな、宝石みたいな日向夏になるのよ。私たちはね、キラキラの宝石を作っているの。」

そう言いながら袋をかける。
キラキラの宝石みたいな日向夏になるように。

果樹農家の野元さん「嫁いで30年だから、まだ30回しか袋掛けしてないわね」ですって
白くてかわいい日向夏の花
こんな風にカットして食べます

きれいな黄色の果皮をりんごのように薄く剥き、アルベドと呼ばれるふわふわした白皮も一緒に食べるのが特徴的な日向夏は、江戸時代に宮崎市の真方安太郎さんの庭で発見されたタチバナが花粉親の偶発実生(ぐうはつみしょう:自然に落ちた種や捨てられた種から種子親を超える特性を持つ偶然発見された品種)だそうだ。

「日向夏」と名づけられたのは明治時代。名前は日向夏だが収穫は冬で、ハウスものは1月から2月、露地物は4月頃まで流通する。全国の生産量の半分を宮崎県が占めており県の特産品でもある。綾町でも昭和53年から本格的に出荷が始まり産地となっているが、もとから日向夏の栽培が盛んだったわけではない。

もとはコレ

記録によると、綾町では大正時代から果樹栽培が盛んに行われていたそうだ。温州みかん。ネーブル。日向夏も少々。そして八朔。

昭和初期になると綾町は国内でも有数の八朔の産地となり「綾八朔」という名前で東京市場にも出荷された。

選果場の壁にうっすらと残る「日本一 綾 八朔」の文字が賑やかさの記憶を残している

そんな綾町が日向夏の産地となるきっかけとなったのは昭和35年から50年にかけての異常低温。太陽活動の低調により県内の冬の最低気温はマイナス5〜10度を記録。ほぼ県内全域で柑橘類の落葉、枝の枯れ込み、枯死など激しい被害を受け、町内でも八朔の木が凍る被害が相次いだ。

一度凍った木は実をつけなくなるため伐採するしかなかった。凍った八朔の代わりに被害の少なかった日向夏を接木で少しずつ増やしていき、昭和53年、綾の日向夏はついに宮崎中央青果に初出荷となった。

「八朔日本一」の綾町にとって、伐採はどんなに悔しかったことだったろう…。寒く、暗く、長い冬…また凍るかもしれないと言う不安。その中で生き残った日向夏は町の皆の暗く沈んだ心にキラキラと光る希望だったのではないだろうか…

綾の日向夏は青い箱に照葉大吊橋の写真が目印

日向夏の出荷が本格的になると「綾町日向夏研究会」が発足。初代研究会会長の三行(みつゆき)さんはりんごの唄が大好きだったらしい。だからというわけではないのだろうが、日向夏の出荷はりんご箱で行われたそうだ。

「葉っぱがついてた方がいいやろぅ!」なんて誰かが言ったのだろう。「葉付きの日向夏」も1生産者につき2箱だけ出荷された。

「葉付きの日向夏」はその名の通り葉っぱのついた日向夏で、茎を長めにし葉をつけて収穫する。一枚一枚丁寧に拭きあげるため手間と時間がかかるが、箱を開けたときの嬉しさは間違いなく葉付きの方が大きい。(みかんも葉っぱがついてると嬉しいですよね。)鮮度と産地の空気感もよく伝わる気がする。今で言うところのマーケティングなのだろう。なんだか粋である。(オール葉付きの日向夏は三越伊勢丹ふるさと納税でのみ受付中。)

収穫の後は大きさごとに分けられひとつひとつ箱に詰められる
箱詰め完成!

初出荷から45年。
町内の日向夏生産者さんは23名となり、毎年たくさんの日向夏がここ綾町から日本全国へ出荷されている。

箱詰めした日向夏は週に一度、JAの選果場に持ち込まれる

話は変わるが綾の日向夏の木は長生きだ。
一般的な日向夏の木の寿命が35年と言われている中で、町内のほとんどの木がそれ以上生きている。3世代続く児玉さんの圃場にある日向夏の木は、樹齢100年以上と言われているが今も毎年しっかり実をつける。
どうしてなのだろうか。

おそらく最長老の日向夏の木にはしめ縄が巻かれ収穫前には毎年手を合わせる
異常低温を乗り越えこの木から接木された木も多いと思われる綾の日向夏の母的存在

「わからんとよね〜…わからんけど、除草剤を使わないってのはやっぱりある気がする。」

綾の果樹農家は除草剤を使用しない。
果樹に限らず綾町は除草剤を使用しない。
昭和63年に制定された、町の「自然生態系農業の推進に関する条例」の中にこんな一文があるからだ。

本来、機能すべき土などの自然生態系を取り戻すこと。

日向夏のハウスの中

除草剤を使用しない綾の日向夏畑は、どこへ行ってもふかふかだ。足を踏み込むたびに地面にふわりと沈み込む。少し掘ればミミズがたくさん出てくるらしい。そのミミズを求めて畑には猪もやってくる。目には見えないが微生物ももちろんたくさんいるのだろう。落ちた葉が微生物によってゆっくりと分解され、その柔らかな土の中で日向夏の木が伸び伸びと根を伸ばしている姿が目に浮かぶ。人の都合で余計な手を加えないこと。土の力を信じること。それが、木の力を最大限に引き出している。ような気がする。

雑草は土を柔らかくするお手伝いをしていて、除草剤を使わないことで土の柔らかさが保たれ、地中できちんと水が流れていくため災害が起きにくい…という話を聞いた。一聞するとまさか〜と勘ぐりたくなるが、たしかにどれだけ降っても、雨は綾の大地にすーっと吸い込まれていくから、、本当にそうなのかもしれない。

除草剤を使わないのは農家だけではない。小学校や中学校の校庭も除草剤はほぼ使わない。(代わりに保護者が交代で草むしりをするので大変ですが。)綾中学校の教頭先生も「前の学校では使っていたんですけどね。ここは綾町ですからね。」と話してくれた。

本来、機能すべき土などの自然生態系を取り戻すこと
この条例が町をひとつにしている。

また「黒色火山灰土壌」通称「黒ボク」という綾の土壌も日向夏の栽培に適しているそうだ。温州みかんは乾燥ストレスがあった方が甘くよく育つが日向夏は逆で、適度な栄養と水分で木をかわいがってあげた方がいいらしい。適した環境と生産者さんの愛情で綾の日向夏は実も葉も大きく育つ。

ようやく出来ました

1月。待ちに待った収穫の時。
さーてキラキラに育った日向夏の写真を撮ろうかね〜と取材に行くと、生産者さんから「収穫の喜びを味わってるからちょっと待って。」と言われてしまった。(そして、しばし待つ。)枝の剪定、花粉つけ、袋かけと膨大な作業の中で、”収穫”はやはり生産者さんにとっては特別な作業。久しぶりに顔を合わせる果実に嬉しさもひとしおだ。

夏に袋をかけた日向夏の実は大きく色鮮やかに育ち、キラキラの宝石みたいなキレイな日向夏がたくさん生まれていた。

これこれ。これです。日向夏はこの色。
見ているだけで心を元気にしてくれる鮮やかな黄色の日向夏は、綾町の「宝物」なのだ。






(食べるともっと元気が出ます。)

綾町農業協同組合
安全・安心な農畜産物の生産・販売。農業関係者の方に役立つ情報をお届けし自然生態系農業に長年取り組んできた有機農業の町として綾ブランド確率に向け努力しています。

生産者の一番近くにいて、農産物の一番美味しい時を知っているJA綾町。
オンラインショップもぜひご利用ください。

https://aya.ja-miyazaki.jp/

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